
旧島松駅逓所(国指定史跡)
国指定史跡上に建つ建造物の耐震診断および耐震補強を行った。
昭和59年度の保存修理工事時に、当初材の礎石の下側にRC立上り基礎とべた基礎が
施工されたが、耐震診断は未実施であった。
2021年度に実施した耐震診断の結果、耐震補強が必要となった。
建物前面に開口が多いため、雨戸隠しの位置に両面合板耐力壁を追加するなど
各所に合板耐力壁を追加し、所定の耐震性能をもたせた。合わせて、RC基礎、屋根面水平ブレースの追加、柱梁束等接合部補強を行った。
耐震診断および補強設計は限界耐力計算により、クライテリアは以下とした。
補強設計における限界耐力計算に際して地域係数は1 とし、冬季は建物重量に積雪
荷重を考慮した上で地震力を1/2 に低減し、積雪荷重が無い夏季は地震力の低減は
行わない。
北広島市教育委員会HPより抜粋
駅逓所(えきていしょ)とは、交通不便の地に駅舎と人馬を備え、宿泊や人馬の継立、運送などの便をはかるために設置されたものです。かつては北海道内に延べ六百十数か所の駅逓所がありましたが、昭和22年(1947年)に駅逓制度が廃止されると次第にその姿を消し、現在ではほとんど残存していません。
島松駅逓所は、明治6年(1873年)に札幌本道(現在の国道36号)の開通に伴い、官設駅逓所として島松川の右岸(胆振国千歳郡島松村、現在の恵庭市)に設置されたのが始まりです。初代取扱人は勇払場所の総支配人でもあった山田文右衛門でした。明治17年(1884年)からは、現在の北広島市島松で赤毛の栽培に成功し、「寒地稲作の祖」と称される中山久蔵が4代目の駅逓取扱人となり、明治30年(1897年)の島松駅逓所廃止までその経営にあたりました。
明治10年(1877年)、札幌農学校の教頭であったW・S・クラークは、約9か月の任期を終え米国に帰国する際に中山久蔵宅に立ち寄り、「Boys, be ambitious(青年よ、大志を懐け)」という名言を残しました。昭和59年(1984年)に国の史跡に指定され、現存する駅逓所としては道内最古のものです。
北広島市HP:https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/kyoiku/detail/00007660.html







